転妻のゆううつ

妊活と株といろいろ雑記ブログ

子育てが大変は言えても不妊ツライと言えないのはなぜか

子育てが大変という話は言いやすいけれど、不妊ツライとは言いにくい。

 

これはなぜか。

解きほぐしてみる。

 

子供が熱出して早退しますは言えるけれど、不妊治療で通院するのでとは言いにくい。

 

子育ての大変さはすでにいる子供ありきで、その人の意思ではどうしようもない不可抗力だと捉えてくれる。

一方で不妊治療は本人の意思でもって臨んでいるもので、私のわがままですみません、と申し訳なさもあるでしょう。

 

また子供は成長とともに手がかからなくなり”卒業”できる。

不妊治療は妊娠するか、または妊娠を諦める以外に”卒業”することはない。

いつまでやるの?まだ妊娠しないの?という周囲の心の声を感じながら過ごしているでしょう。

 

つわりがツライとは言えても、不妊治療ツライとは言えない。

 

妊娠自体がおめでたいことだから言いやすい。

体を大事にねと言われ、一人の体じゃないからと気遣ってくれる。

子供をお腹で育てる尊さも理解されるでしょう。

 

不妊治療の過程で生じる体調不良は、そもそも不妊がマイノリティですべての人に共感されるものでなく、ここでもやはり本人の意思でそうなっていると思われがちだ。

 

妊娠したいから治療してるんでしょう?

子供が欲しくて自分で選んだんでしょう?

そう思われるかもしれない。

 

でもそもそも不妊でなければ治療は必要ない。

望んで不妊になっている訳はないのだから、自分で選んだ治療によって苦しいのは仕方ないというのは全く的を得ないものなのです。

 

治療しているかどうかにかかわらず、自分は不妊だと周りの人に言える人はどれだけいるだろう。

 

少なくとも私は言えない。

望んでいるのに子供ができない可哀そうな人と思われてしまうのでは。

妊娠報告したら傷ついてしまうからと腫れ物のように扱われるのでは。

十分ツライ思いをしているからこそ、周りの人から可哀そうな人、不幸な人とは思われたくない。

 

子育ては大変さと同時に幸せもある。

寝る暇もない忙殺される日々があっても、ふと子供の笑顔に心が癒される瞬間があることでしょう。

"子育て大変"の向こう側に、子供の可愛さも同時に見るから、聞いている側も大変ねえと言いながら笑ってられる。

 

不妊は妊娠するまで続く、癒しのない時間だから、聞いた側はただ暗い気持ちになって返す言葉も見つからない。

それを知っているからこそ、不妊ツライとは言えない。